彼方より彼方ヘ 石塚雅子展のために

大谷省吾 

 あなたは今、黒と自の大きな渦に向き合っているはずです。どんなことを感じ、考えましたか。もしあなたが、作品の意味を知りたくて、このカタログを手にとったのでしたら、残念でした。この文章は作品解説ではありません。大事なのは、あなたが作品と向き合って何を考え、何を得ることができたかということなのです。その体験は一人一人違うものですから、私は私の体験を語ることしかできません。ただ、それがあなた自身の思索を深めるのに少しでも役立てば幸いです。
 
 この渦をかたちづくっているのは、勢いのある黒や白の線の集まりです。けれども、私が惹かれるのは、線の運動感そのものではありません。高速で回転するコマが静止してみえるように、彼女の作品は遠心力と求心力とのせめぎあいの中で、はりつめた、けれども静かなイメージを浮かび上がらせているようにみえます。そしてそこには不思議な磁場がはたらいているらしく、私は吸い寄せられるように、画面に没入するように、作品と正面から向き合うことになるのです。この不思議な渦はいったい何なのでしょうか。
 
 彼女は今回の展覧会に名前をつけました。「彼方より彼方へ」。そう、この渦はどこか彼方からやってきたのです。どこから?そんなことを考えながら、しばらく渦と向き合っているうちに、私はひとつひとつの線を目でたどりながら、作者の描く行為を追体験しているような気がしてきました。そして自分の中にも、このような深くて暗い何かがあることに気づいたのです。それは日々の生活の中では自覚することのない、むしろ無意識に心の奥底へ押し隠してしまっているような闇なのかもしれません。その闇は私だけではなく、誰の心の奥にでもある、内なる自然とでも呼ぶべきものなのではないでしょうか。

 彼女の話では、描く時間よりも、描かないでじっと画面を見ている時間の方が長いそうです。彼女はおそらく自分の心の奥の間に耳を澄ましているのでしょう。そしてその間が少しずつあふれ、渦となるとき、彼女の手が、筆が、弧を描くことになるのでしょう。

 私たちはふだん、あまりにも多くの視覚情報に囲まれて生きています。そしてそれらを消費することに忙しくなりすぎて、おそらく多くのものを見落としているのです。ひとたび彼女に倣い、足を止め、そして自分の内と外とに耳を澄まし、目を凝らしてみましょう。そのとき世界は、今までとは違った風貌をもってみえてくるにちがいありません。それはきっと豊かで、そしてどこかおそろしいものにみえるでしょう。

 ところで、今回の彼女の最新作には、大きな渦の中に無数の小さな泡のような円の連なりがあらわれています。彼女の新しい展開を告げるこのイメージは何でしょうか。渦の作品における吸いこまれるような、画面に没入するような印象とは違って、この泡のようなイメージは画面の奥底から湧き上がってくるようにみえます。渦のイメージが「彼方より」やってきたものだとするならば、この泡のイメージ一宇宙の生成にも、小さな生命の誕生にもみえる-は「彼方へ」と向かうものなのかもしれません。彼方よりやってくるもの、彼方へと向かうもの。思えばそれは、この世界に存在するすべてのものの本質です。彼女の心を通した世界の根源のヴィジョンを、私は見ていたのでしょう。

 世界はそれ自体、謎にみちた存在です。それを理性の力で解き明かそうとするのが科学ならば、美術は感性の力によって、世界を謎のままに、しかし豊かに表現することができます。彼女の作品から私が得たものと、あなたが得たものとは違うかもしれません。けれども見る人それぞれが、さまざまな意味を紡ぎだすことができるから、美術は面白いのです。あなたはあなたの見つけたものを、大事にしてください。


ギャラリー日鉱個展「彼方より彼方へ」カタログより  98年3月
(おおたにしょうご 東京国立近代美術館主任研究員)
1998年 3月